かみかみおれんじ

子育ても息抜きもたいせつです

 やっぱり言いたいことがあるぞ

この前書いたカブト15話の感想の中で、「この調子だったら脚本は井上氏でも誰でもオッケーだなあ」なぞとほざいてみたが、やっぱり井上氏の脚本に物申したいことがある。(舌の根も乾かないうちに…笑)
確かに話運びとギャグへの持って行き方は上手いのだが、既存のレギュラーキャラクターにどうにも違和感が感じられてならないんだけどねえ。キャラクターの何がイカンかっていうと、弱虫加賀美と凡人天道が、特に。
井上氏の加賀美って、どーも米村加賀美と比べると気骨が感じられないんだよ。だって、今までのカブト本編中で、加賀美が一番追い詰められたのは4話の弟と対峙した時じゃない。その時も、(雨の中の出来事なので、涙が隠れたという演出もあるけれども)加賀美はおおっぴらには泣いていないじゃないの。でも、15話の加賀美はあーんなにあからさまに天道の前で涙なんて見せちゃってさあ。10話でもあんなにカッコよくザビーの資格を捨てた彼なのに、いくら囮にされたとはいえ、あそこまで意気消沈しちゃうか?!むしろ、本来ならば影山に食ってかかるイキオイじゃないのかなあ?
天道もそう。米村氏の天道が、世の中のモノサシでは測りきれない斜め上を往く人間であるのに対し、井上氏の天道はどうも合コンだの、モテ競争だの、スクラッチだの、スタイリング競争だの、判りやすいモノサシに押し込められている感じがするんだけどね。飽くまで、天道は「天の道を往く」キャラであって欲しいんだけどなあ。
そして、加賀美の涙を回想する天道といい、11話の加賀美の「俺とお前が繋がって云々」といい、ポエム風味の米村氏の脚本を真似しようとして電波風味になってしまったとしか思えないんだけど〜。
そもそも、カブトという作品が今までの話の中で一番描写を費やしてきたことって、メイン3人(天道・加賀美・ひより)のキャラクターとその関係性じゃないのかなあ。その中でも特に「天道=カブトの最強さ」「天道と加賀美の関係性」が最も強く描かれていて。そして、その2点が強調されることによって、ある意味ゼクトやワームの描写の甘さ(弱さ)と世界観の描写の弱さが浮き彫りになってしまっている点もあるのは事実なんだけど。まあ、置いてけぼりにされたそれらはおいおい描かれるかもしれない(?)ので置いといて、そこまでして描いてきた大切なキャラクター達が、脚本次第でコロコロ変わってしまったら、今までカブトがやってきたことがまるっきりのムダになってしまうんじゃないのかな〜、とふと思ったりするんだけどね。
まあ、ここまでぐだぐだ理屈をこねてみても、結局自分がいいたいことは、いくら話がダメダメでも、自分は米村氏の作ったキャラクターが好きなんじゃー!ってことだけかもしれない…。泣いても笑っても今月は井上脚本月間だし、黙って劇場版から米村氏が戻って来てくれるのを待ってますよ、もう。